空襲被害者等援護法Q&A
 
Q1.
何故、今、空襲被害者等援護法の制定を求めているのですか。
東京・大阪で相次いで提訴
2007年3月には東京で、2008年12月には大阪で、国を被告として空襲被害の補償を求める訴訟が提訴されました。そして、2009年11月からは空襲被害者の援護立法をめざす運動が本格的に進められるようになりました。
多くの方々は、戦後60年以上も経ってから、何故訴訟に立ち上がったり、立法を求めるようになったのかと思われるかも知れません。
東日本大震災が起こり、国の財政状況が極めて悪いと言われる中で、何故、そんなことを要求するのかと思われる方も多いと思います。
何故、今援護立法なのか
まず、何故、今になってなのかという点です。現在では、あまりよく知られていないかもしれませんが、空襲被害者の援護法の制定を求める運動が続けられた長い歴史があります。
しかし、「国家の非常事態である戦争では国民みんなが何らかの被害を受けたのだから、生命・身体被害も我慢しければならない」 ( これを「戦争被被害者受忍論」 と言います。) とする裁判所の判断を盾にして、政府は、空襲被害者の補償を拒否してきました。
それを乗り越え、空襲被災後、60年以上を経過し、「このままでは、1度の死者としては広島、長崎の原爆被災以上の被害者数といわれる東京大空襲ですら、歴史の閣に埋もれてしまう。」
この思いに駆られた被害者達は、自らの生きているうちにと人生の終盤を前にして訴訟に立ち上がりました。
孤立していた被害者らの間で少しずつ横の連絡がとられるようになり、沖縄でも民間被害者の援護を求める運動が始まりました。
その中心になったのは、親族に預けられ辛い思いをした戦争孤児でした。
彼ら彼女らは、戦後の苦労を口にすることが、育ててくれた親類への恨みにつながることを慮って、これまで口をつぐんでこざるを得ませんでした。
訴訟活動や立法運動の中で、空襲被害者等の民間戦争被害者は、軍人・軍属への補償との格差や欧米各国の軍人と民間人とを差別しない戦争被害補償制度が存在することを知り、今「人の命に尊い命とそうでない命はない」との思いから立法の必要性への確信を、ますます強めています。
今、東日本大震災と国家の財政危機の中で
民間戦争被害者に対する補償は巨額にのぼり、震災の復興や原発の被災者への補償、そして、財政危機の中で、国にそんな余裕はないと思われる方も少なくないでしょう。
東日本大震災の復興費用の問題や更に日本の財政状況の問題があることは原告ら民間人戦争被災者は十分に認識しています。しかし、天災についてさえ、災害弔慰金等支給法が存在し、その遺族や障害を受けた人に対する補償がなされています。ぞれなのに、国家の行為である戦争の被害について、それに対する補償がないのは、あまりに不合理です。
みんな我慢すべきだという戦争被害受忍論は、その実は、より大きな被害を受けた弱者により苛酷な犠牲を強いるものです。
天災でさえ、国家共同体の税金により被災者を支えるとしたら、国家の行為である戦争について、その補償をして被災者を支えるのは当然だと思われます。
同時に、大震災からの復興に当たり、何を基本的価値におくのか、何を守り、何を放置しではならないのかがこの国に間われています。
何よりも守るべき価値が人々の生命や身体であるとすれば、その原点を確認する上でも、今、空襲被害者等援護法の立法は、財政問題を超えて重要な意義を持っています。
少なくとも、この国が人間を大切にする国であることを確認するためにも、一定の政策をとることが、日本の危機を考える上でも大切なことだと考えます。
Q2. 空襲被害者は、どのような被害を受けたのですか >>
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