空襲被害者等援護法Q&A
Q8.
空襲被害者の援護に何が求められているのですか。
生活を喪失した生存被災者
12歳で東京大空襲を経験した、作家早乙女勝元さん(戦災資料センター館長)は東京地裁において、「空襲が奪ったものは、まず、人の命、住民と財産、町並みを含む人々の生活、そして未来の希望であり、今もその傷はひりひり震いている」と法廷で証言しました。街全体の喪失という東日本大震災の被害と重なるものでした。
また、精神科医で関西学院大学教授の野田正彰さんは、「原告たちは、過去の空襲被害を歴史として語っているのではなく、今も苦しんでいるのであり、この苦しみは国を含む共同体全体で背負わない限りこれを軽減することはできない」と証言しました。
孤児となった者らの境遇
空襲被害により、自助で克服することが困難な者が多数生れました。特に、学霊期以下で孤児になった子どもは、自分で生きる力がないため、苛酷な境遇におかれました。重傷を負った被災者たちも負い目を個人で背負い、ひたむきに生きるしかありませんでした。
戦後、我が国が主権を回復し、戦傷病者戦没者遺族等を制定するとともに、軍人恩給を復活させましたが、ー般戦災者は放置されたままでした。
一般戦災者の救済を求める運動は、個人や団体により進められました。「戦時災害援護法(案)」 の制定を求める運動が、昭和48年の第71回国会から平成元年の第114回国会まで、16年半にわたり、計14 度も国会に提出されましたが、一般被災者全体の運動となったとはいえませんでした。
また、東京大空襲を記録し、死者を追悼する施設の建設を国や東京都に求める運動などが辛抱強く進められましたが、これも効を奏することはありませんでした。
国は民間戦争被害者には、一貫して受忍を強いてきました。
一般戦災について国の責任において被害実態調査をしたこともありません。原子爆弾被爆者については、原水禁運動の支えもあり生存者の「放射線被害」だけは補償しましたが、一般戦災者と同様死没者の補償はしていません。そして、戦争犠牲者のうちで今でも完全に見捨てられたままになっているのが、この一般戦災者なのです。
60年の放置と提訴
終戦から60年以上が経過し、空襲当時10歳の子どもが、現在では70代後半になり、人生の晩年を迎えています。空襲によってこうむった損害は、被災者によって様々ですが、人生が一段落した晩年になって、苦難の人生や空襲で死んだ家族など回想するにつけ、国から一言も謝罪も援護もなく、追悼施設さえ存在しないことに精神的に堪えられないのです。
そこで、東京と大阪を中心とする空襲被災者たちは、その人権回復を求めて裁判に踏み切りました。原告たちは、戦争を知る最後の世代として、一般戦災者を代表する立場において、空襲被害の戦後処理を国に求めて訴えたのです。この間題を残したままでは死ぬに死に切れないという想いと、我が国が一人一人の人間を大切にする真の平和国家として存続して欲しいとの願いから両訴訟の原告らは、晩年の人生をかけて提訴に踏み切ったものです。
しかし、裁判では解決にはなりません。立法による解決が必要なのです。
一部の者にしわ寄せはさせない
東日本大震災、そして原発事故の後、その被災者に民間戦争被害者と同じ思いをさせてはなりません。
死んだ者の名前さえ調べないというような、被害を受けた一部の者に苦難を強いることがあってはなりません。
今、一度、一人一人を大切にする国とするために、国を含む共同体全体で苦難を受けた人を支えることの意味を再確認する必要があります。
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